翻訳における文体選択の悩み

 ラヴクラフト『文学における超自然の恐怖』(大瀧啓裕訳・学研)の訳者解題より。
 「この『ユゴスの黴』において注目すべきは、ラヴクラフトの小説、ことに後期の創造神話の佶屈した文章とは截然と異なる、実に簡明な文章で書きつづられていることである。ソネットの形式によるところが大きいと見てよいだろう。」
 この指摘はラヴクラフト自ら『ユゴスの黴』について述べた書簡の一節が裏書きしている。
 「一読してくだされば、私がけばけばしい気障な「詩的語法」から脱却して、日常会話に見られる生きた言葉で書こうと努力したことがお分かりになるはずです。」(一九三〇年一月エリザベス・トルドリッジ宛、佐藤嗣二訳・国書刊行会版定本ラヴクラフト全集第九巻)
 つまり理屈からのみ言えば、『ユゴスの黴』の各詩篇は簡潔な口語体で翻訳し通すべきである、となろうか。しかし実際やってみると理屈通りには行かないので困る。なんともさまにならないのだ。
 以下に試みとして、さきに文語体で訳した「ニャルラトホテプ」の口語訳ヴァージョンを掲げてみる。いかがなものだろう(ロバート・ブロック作「尖塔の怪異」のクライマックス、主人公がニャルラトホテプの化身と目した人物を追いつめながら、このソネットを引用する場面を思い描いてほしい)。



そして終にやって来た、隠奥なるエジプトから、
農工民にぬかづかれる尋常でない暗黒の一者が。
黙然として痩身、謎めくまでに傲岸、
まとっている織物は落日の燃えるごとき紅。
彼の命令を求めて周りにひしめく狂乱の徒は、
聴いたことばの意味を解せず離れてゆくが、
その間も、民族をこえて広がる畏怖に打たれた噂にいわく、
野獣どもは彼にしたがい彼の手を舐めるのであると。


ほどなく海から現れだした、災いをなす生誕者が、
藻がらみの黄金尖塔ならび立つ忘れられた地のかずかずが。
地面は裂け、狂おしいうねりのオーロラが、
人の造った城砦のゆれ動く上に垂れこめた。
こうして、おのが戯れの偶成物をうち砕きながら、
白痴なるカオスは吹き飛ばすのだった、地球の塵を。

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