H.P. Lovecraft "Fungi from Yuggoth" sonnet XIX

 鐘鐸    ハワード・フィリップス・ラヴクラフト


年年にわれ聞きぬ かぐろき午夜の風のかすかに
遠処をちよりつたへ来る鐘鐸のふかく沈めるその音韻ひびき
从前かつて看見みとめえし尖塔のいづれよりおこるにもあらず
ただ ある大空無ヴオイドをよぎりて飛来するかとあやしぶ而已のみ
夢とはた記憶とに線索てづるさぐりもとむれば
おもひ出でぬ わが幻心の齎しなる鐘声すべ
静謐の銀蘇蟇肆インスマスを 彼処なるむかしみしりし
蒼古ふるき寺塔の周囲めぐりには白鷗のむれの棲遅やすらふありき


毎毎いついつもわれ聞きまどひぬ 遐方をちより飛落するその律呂しらべ
さる程に 終に三月の一夜 つめたく肌斜雨しぶきあめ
暗号あひづしてわれを招呼よばひつ いざ回憶の門を潜りて
つらなめる古塔の打鐘狂ほしき処にかへり来よ と
打鐘はありき−−されど そのやただ廃滅の海底うなぞこなる
谿たに谿たにながれて陽光しらぬ潮水うしほより已矣のみ


(口語訳)
年どし私は耳に聞いた、幽かにとおく彼方から
か黒い深夜の風にのせて、深い音色を伝えくる鐘のかずかず。
いずれの尖塔からとよもすものとも知れず、
ただ、一種の大空無を羽撃きわたってでも来るのかと。
私は夢と記憶とに手がかりをさぐり索め、
想うのだった、心のまぼろしがもたらす鐘声すべてを、
見知りのある古い寺塔のめぐり、
白鷗の群れがやすらう謐かなインスマスを。


いつも私は聞きまどった、遠くかなたから降ってくるそれらの音色を。
するうち終に三月の一夜、冷たいしぶき雨の合図が
私を招いたのだ、回憶の門をいくつも潜りぬけ、
古塔の打鐘みな狂おしさをきそう処まで帰ってこいと。
打鐘はあった――ただしそれは無生気の海の底、
谷間から谷間へそそぎ陽のあたらない潮流から。


H.P. Lovecraft "Fungi from Yuggoth"
http://www.psy-q.ch/lovecraft/html/fungi.htm
sonnet XIX