『ユゴスよりの黴』プロローグ三篇

 一、魔書


それは暗くて埃ぶかく、埠頭のそばの
古い小道のいくすじも絡みあうなかに見失いがちで、
海のうち揚げた胡乱なものらの異臭が届き、
西風の煽りに霧の妖しくうずまく場所にあった。
霧にけぶり、霜に曇った菱形の小窓硝子ごしに、
見えたものはただ書物ばかり、床から天井へと
ねじれた樹々のごとく積み上がり、かつ腐れゆく本の山また山――
安価に得られる古伝の知識があたら朽ちつつある堆積群。


入店し魅せられて、蜘蛛の巣の張ったひと山から
手ぢかな書冊を取りあげてページを繰れば、
戦慄をさそう妖しいことばの数々は、
知らずにすめば幸いなたぐいの秘密を孕んでいるかと思われた。
そこで老獪な店主よいずこと見まわしたものの、
影もかたちもなく、ただ、声が笑いをとよもすばかり。



 二、追ってくる


外套の下にその書冊を携え、かような場所で
これが人目に触れぬよう苦心しながら、
年ふりた港町を通りから通りへ急ぎ、
時にふり返りまたふり返り、足の運びもびくついて。
古い煉瓦壁のぐらつくそばを駆けぬける際、壁にならんだ曇り窓が
こそこそと胡乱な視線を注いできたのは、
なにを隠匿するゆえかと考えると恋しくなった、
こころを救ってくれるだろう空の晴れ間の青さが。


これを持ち出すところは誰にも見られなかったはず――なのになおも、
錯迷の脳裡で谺しつづける顔なき笑い。
いまや憶測できた、つよく欲したこの書のなかに、
いかなる悪しき常闇の諸世界が潜んでいるのかを。
ゆく道は異様に変わり――左右の壁も似たようになりまた狂気をおびて――
遠くから、目にこそ見えね何者か、ひたひたと追ってくる気配。



 三、秘鍵


わからない、どうやってあの荒廃した海沿いの通りの
異様な紆余曲折を脱し、いま一度わが家へと舞い戻りえたのか。
とまれ玄関口で震えながら、焦りに血の気がひくのだった、
はやく入って重い扉に閂をかけてしまわねばと。
手中の書冊、これが告げ示してくれるのは
虚空をわたる隠れた道、次元なき諸世界をしきり、
迷える諸時劫を個々の領域にとどめ置く、
宇宙規模の遮断幕を越えて先へと進むための道。


ついにわが所有となったのだ、あのおぼめく幻視の鍵が、
この地球のものさしの及ばない深い淵に、
夕映えの尖塔群とたそがれの森林の朧ろにわだかまる、
無限無窮の記憶として潜むまぼろしを闡明する鍵が。
ついにわが所有と――だがそこに坐して低語すれば、
天窓がかすかに揺れた、見えぬ手にさぐられたように。



H.P. Lovecraft "Fungi from Yuggoth"
http://www.psy-q.ch/lovecraft/html/fungi.htm
sonnet I.-III.

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