ハワード・フィリップス・ラヴクラフト「月ぞ夢魔」

 わたくしは月を忌む――月をおそれる――おりふし月照はある種の見なれためでたい場景を、見なれぬ気うといものへと変えてしまうことのあるがゆえに。
 時しも妖かしい夏のことであった、わたくしのさ迷う古さびた苑生に月光が降りそそいだのは、眠りをさそう群芳と海原めく湿潤の葉むらが、奔放にして多彩なる夢をもたらす妖かしい夏の一夜。しかして玻璃のごとく澄んだ浅い小ながれに沿うてあゆめば、立つさざ波は黄色のあかりに染まっていつに見ぬようす、あたかもその穏やかなる水が不可抗の勢いにより、この世に存在せぬ未知の大わだつみへと誘いこまれてゆくかのごとく。ひそやかに光ひらめき、眩ゆくもまたまがまがしく那辺へかは知らね、月に咒われた水の急きながれゆくそのまも、鬱林おおう両岸より一朶また一朶ひらひらと、まどろましい夜風になぶられ身を捨てがおに水面に落つる白蓮の花は、彫りかざられた弓形橋のした、気味わるい回転のうちに運び去られながらこしかたへ向くるのであった、謐かなる死面のさがない諦めをおびた凝視をこそ。
 しかしてわたくしは川岸を走った、眠れる群芳の蹂みくだかるるも構わず、未知なる何かをおそるるがゆえ、死面に魅いられたるがゆえに絶えず狂々然と走りゆけば、月下の苑生は一向に果てがみえず、昼は壁のつき立っていたところ、いまや新たにうち展けて並木や小径、花々や茂み、石の偶像や多重の宝塔、さては黄あかりに染まったながれの草ぶかい堤を過ぎ、なめ石の古怪なる橋々をくぐりゆく紆余曲折がひた続くのみ。しかして蓮花の死面どものくちびるが哀しげに囁きかけ、ついて来よと命じたればわたくしも足を止むることなく、するうち小ながれは大河となり、葦たおやぐ沼地とほの光る砂浜とのあわいを、ついに広大にして名もしれぬ海原へとそそぎ入るにいたった。
 その海は忌々しくかがやく月に瞰おろされ、声音なき波のうえには幻妖なる香気がたち罩めていた。しかしてそこもとへと一朶また一朶、面貌なす蓮花の没しゆくをみるにつけ、あれどもをひき捕らまえる網もがな、夜をおびやかす夢魔たる月の秘密を聞きいだしてくれんものを、と惜しまれた。しかすがに月西へかたぶき、気鬱なる岸辺より汐ひそやかに引きゆけば、月光のもと彷彿と浮かびあがったのは、波間にほとんど露出した古い尖塔群と、緑々たる海藻を花づなよろしく派手やかにまとう白い列柱。しかしてこの沈水の都こそ、すべての死しとし死せるものらがつどい来たるところである、という慄然の事実を悟ったわたくしは、もはや二度と蓮花の死面どもとの会話をのぞまなかった。
 とはいえ海上をふりさけ見るに、天空より一羽の黒い禿鷹が、巨いなる暗礁に翼やすめの場を求めて下降していったのには、問いうべくば自らすすんでいまは亡き昔なじみの消息を問おうとおもったもの。さのみ離れていなかったならば実際こと問うたであろうけれど、あまり遠方に過ぎたるが憾みにして、禿鷹はそのおぎろない暗礁へ近づくにおよびまったく目視不能になった。
 さればわたくしは沈みゆく月のもと汐の引きを見まもり、雫したたる死都の堂塔伽藍がほの光るさまをうち眺めた。しかして眺むるほどに、香気を圧倒してひろごる死臭にわたくしの鼻腔ふさがらんとしたのは、まことやこの特定できぬ、忘られた場所に全世界の霊園の屍肉が集まっているゆえ、肥えふとった海蛆や沙虫のたぐいが腹くちくなるまで喰らいつづける餌として。
 かかるおぞましさを邪まげに瞰おろす月はいまやいと低きところに懸かってあれど、肥えたる海の妖虫どもの喫喰には月あかりなど要しなかった。しかして妖虫どもの海面下の蠕動をものがたるさざ波を眺めつつ、わたくしは新たに冷漠たるさむけが、彼方とおく禿鷹の飛んでいったあたりより迫りくるをおぼえた、あたかもわたくしの肉身がわたくしの双眼に先んじて悚懼を捉えたかのごとく。
 わたくしの肉身とてゆえなく慄いたるにはあらず、ついで双眼を瞻あぐれば、引き汐に水位のひどく低まりしにより、さきにおぎろない頂辺しかみえなかった暗礁があらかた露わになっていたのである。しかしてこの暗礁が、まことは黒玄武岩の冠を戴いた異容おどろかしき eikon の頭部にほかならず、その巨怪なる額いまや朧ろの月あかりに輝いてみゆれば、けだし幾哩ものふかさの水底では、醜悪なる蹄が地獄めいておぞましい汚泥を蹂みにじっているに相違ないことを悟るや、わたくしは絶叫また絶叫した、その隠れたる面貌が海面上にあらわれ、陰険かつ狡猾なる黄色の月のさがり失せたのち、露わになった双眼もてわたくしへ凝視をそそぐのではとのおそれに堪えず。
 しかして非情なる災禍をまぬがれんものとこそ、躊躇もなさず喜んで、わたくしは悪臭はなつ浅海のなかへ飛びこんだのであった、藻がらみの塁壁と沈める街路とのさなか、肥えたる海の妖虫どもが全世界の死者の腐肉を賞味する宴のむしろへと。


What the Moon Brings by H. P. Lovecraft
http://www.hplovecraft.com/writings/texts/fiction/wmb.asp

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ハワード・フィリップス・ラヴクラフト「忘却ヨリ」

 最後の日びが迫ってきて、生存に纏わるもろもろのいとわしい瑣事にこころを狂気へと駆りたてられること、小さな水滴をたえ間なく、肉体上の一点に集中して落としつづけられるあの責苦さながらになりはじめると、わたしが愛したのはきらきらしくも後ろむきな慰楽、眠りの世界への逃避だった。夢のなかわたしは、うつつの生で探しもとめて空しかった美のいくらかを見いだし、神さびた庭園や魔法のかかった森をさまよい歩いた。
 風軟らかでかぐわしいある時は南方の呼びごえを聞いて、未知の星座のした帆をあやつっての延々と気だるい航海。
 小雨しとしとと降るある時は軽舟に棹さして、陽の届かない地底の流れを下ってゆくと、やがて到達したところは紫丹のたそがれと真珠色のあずまやと凋れない薔薇との別世界。
 そしてまたある時は黄金の谷間を進んでゆくと、木立と廃墟の影ふかいところに出て、つきあたりは年へた葡萄蔓に緑々と覆われた広大な障壁、そこに小さな青銅の門扉が嵌っていた。
 いくたびもその谷間を通りぬけては、長くよりながく佇んだものだった、妖かしい薄明のなか捻ねくれた巨木のむれが、古怪に身をよじり合うあいだを縫ってじめじめとひろがる灰白色の地面から、埋もれた石殿の黴まみれな残骸が時おり覗いたりもしているところに。そしていつもわたしの夢魂のゆき着くはては、葡萄蔓はびこる広大な障壁、そこに嵌まった小さな青銅の門扉。
 するうち目ざめの世界での、陰暗で変わりばえしない日びがいよいよ堪えられないものとなってくると、しばしば鴉片にやすらぎを求めては、飄然と谷間や影ふかい木立をさすらいつつ自問したものだった、ここにみずからの終のすみかをかち得て、珍しさも目あたらしさも欠落した濁世へ、二度と這いもどらなくて済むようにする手段はないものだろうかと。そして広大な障壁の小さな門扉を眺めやるにつけ、このむこうには夢幻の国土がひろがっていて、ひとたび踏み入ったならばたち帰ることなどありはしない、そんな気がしたのだ。
 だから夜ごとの眠りのたび、年へた蔓に覆われた障壁の門扉の、隠れた掛けがねの所在さがしに奮闘したのだが、それは殊のほか巧妙に隠されていて見いだしかねた。そしてわたしは独りごちたものだ、壁のむこうの王領は単により移ろいがたいだけでなく、さらにより麗しくきらきらしいところなのだと。
 そんなある夜のこと、夢の都ザカリオンで発見した一枚の黄ばんだパピルスは、この都に齢をかさねた智慧者たち、あまりに賢すぎたために目ざめの世界へうまれ落ちることを許されなかった、夢境の聖哲たちの思索がびっしり書きこまれてあった。そこには夢の世界に関することどもが多々記されていて、黄金の谷と神殿の木立、そして青銅の小門の嵌った高い障壁に纏わる言いつたえの記述もみえた。そのくだりを目にするや、自分が足しげくかよう場所への言及だとわかったわたしは黄ばんだパピルスを長ながと読みふけった。
 再通過できない門のむこう側について、夢境の聖哲たちのなかには絢爛たる筆で驚異のかずかずを語る者もいれば、また恐怖と幻滅とをのべる者もいた。どちらを信じるべきか見当がつかなかったが、それでもなお未知の国土へ渡りたい、永遠に行ったきりでもいいという思いがつのるばかりだったのは、不確かさと謎めかしさこそ蠱惑のなかの蠱惑で、どんなあたらしい恐怖も、うちつづく無聊の日びという責苦以上に恐るべきものではなかったから。だから門扉を解錠して通らせてくれる秘薬のあることをまなぶと、つぎに目ざめたさいには服用しようとこころに決めた。
 昨夜わたしはその薬を嚥んで夢の境界をただよい、黄金の谷間から影ふかい木立へと入っていったのだが、さていよいよ古さびた障壁に到ってみると、小さな青銅の門扉が開きかけていた。おくから射してくる白熱光に、捻ねくれた巨木のむれや埋もれた石殿の突出部が面妖に照らされるなか、歌ほがらかに飄然と歩を運びながら、入れば絶えてたち去ることはないはずの国の栄耀への期待に胸も一杯だった。
 けれど門扉がさらに大きく開き、薬物と夢との魔力がわたしをぐいと押しすすめた時、美観も栄耀もことごとく空だのみに終わったと知ったのは、眼前のあらたな領域が陸地でも海でもありはしなかったから。ただ、まっ白な虚無の支配する無人にして無辺際の空間。さてこそ、かつて大胆にも望んだ以上のしあわせに満ちてまた溶けこんでいったのだ、その透きとおった無窮のふるさとへと、その水晶のような忘却より、生という名のダイモーンにつかの間の、孤寂なひと時だけ呼びだされていたに過ぎなかったわたしは。


Ex Oblivione by H. P. Lovecraft
http://www.hplovecraft.com/writings/texts/fiction/eo.asp


 (二〇一〇年十月二十七日未明追記)
 『両世界日誌』のsbiacoさん、『凡々ブログ』のNephren-Kaさんからのご指摘・ご教示を受けて、最終センテンスの旧訳「さてこそ、かつて大胆にも望んだ以上のしあわせに満ちて、わたしはまた溶けこんでいったのだ、水晶さながらに透明な忘却本来のあの無窮のなかへ、つゆの間の、孤寂なひと時わたしに呼びかけてきていた生という名のダイモーンの棲みかへと。」を上記のごとく改めました。お二方に心より感謝を申しあげ、併せてみずからの英文読解力の低さのほどを深く恥じいる次第です。

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ハワード・フィリップス・ラヴクラフト「イビッド」

 「イビッドがその有名な『詩人列伝』で言っているように」――ある学生の作文より


 イビッド Ibid をかの『詩人列伝 Lives of the Poets 』の著者と考える錯誤は、これに逢着することあまりに屡々にして、ひとかどの教養を積んだ、とうそぶく人びとの間にも多々見うけらるるほどのものなれば、ここに正しておくに値しよう。一般常識の問題として弁えてしかるべきである、この作品の文責は Cf. ことコンファー Confer に帰す、などというがごときは。さて一方イビッドのものした傑作とはなにかと申せば、これ即ち世に隠れもない『前掲書 Op. Cit. 』 にほかならず、同書においてグレコ=ローマン的措辞の意味ぶかい暗流が、ただ一度きりの明確なるかたちを結んでさらけ出されたのであり――しかも、賛嘆措くあたわざる鋭さを帯びているにもかかわらず、イビッドの書いたものとしては驚くほど後期の作なのであった。ひとつの虚偽の報告がくり返し――近代書籍の数々で孫引きに孫引きをかさねられ、フォン・シュヴァインコップ Von Schweinkopf による記念碑的大著、『イタリアにおける東ゴート族の歴史 Geschichte der Ostrogothen in Italien 』(1)の上梓以前はじつに定説のごとく語られてきた――いわく、イビッドはローマ化せられた西ゴート族 Visigoth のひとりにして、アタウルフ Ataulf (2)ひきいる四四〇年ごろプラケンティア Placentia に定住の遊牧民の一団に属していたと。事実に反した記述なる点、いかに強調しても過度とは申されず、なんとなればフォン・シュヴァインコップが、しかしてかれ以降ではリトルウィット Littlewit*1(3) およびベートノワール Bêtenoir*2 が反駁の余地なき説得力をもって示してきたとおり、この絶海のはなれ小島のごとき孤客は生粋のローマ人――少なくとも、退廃し人種的混淆の進んだ時代の生みだしえたかぎり生粋のローマ人であり、蓋しかれに関しても、『ローマ帝国衰亡史 The Decline and Fall of the Roman Empire 』中ギボン Gibbon がボエティウス Boethius を指して述べた次のことばがよく当てはまったのではあるまいか――「カトー Cato やトゥリー Tully ことマルクス・トゥリウス・キケロ Marcus Tullius Cicero がわが同国の士と認めえたであろう最後のローマ人」(5)。イビッドは、ボエティウス(6)およびその同時代に生きた殆どすべての傑物たちのごとく、名門アニキウス Anicius 家の出身であり、厳正とかつは自負との斜めならざるをもっておのが家系図を遡れば、共和制ローマの全英雄にたどり着くのであった。かれの省略ぬきの正式名は――その長々しさ、仰々しさたるやローマ古来の三命名法の簡朴を失った時代のならいゆえにして――フォン・シュヴァインコップの記すところ*3によれば、カイウス・アニキウス・マグヌス・フリウス・カミルス・アエミラヌス・コルネリウス・ワレリウス・ポムペイウス・ユリウス・イビドゥス Caius Anicius Magnus Furius Camillus Æmilianus Cornelius Valerius Pompeius Julius Ibidus であり、しかしながら、リトルウィットはアエミラヌス Æmilianus を除いてかわりにクラウディウス・デキウス・ユニアヌス Claudius Decius Junianus をつけ加えており*4、かと思えばベートノワールは根本より意見を違え、正式名をマグヌス・フリウス・カミルス・アウレリウス・アントニウス・フラウィウス・アニキウス・ペトロニウス・ワレンティアヌス・アエギドゥス・イビドゥス Magnus Furius Camillus Aurelius Antoninus Flavius Anicius Petronius Valentinianus Aegidus Ibidus とする説を唱えている*5次第。
 この不世出の批評家にして伝記作者の生まれたのは四八六年、ガリア Gallia 北部における西ローマ系軍閥の支配が、フランク族 Franci の王クローヴィス Clovis(10) の手によって終焉せしめられてのち程なくのことであった。ローマ、ラヴェンナ Ravenna の両市は互いに、イビドゥスのうぶすなの地たる栄誉を担わんものとあい争う関係なれども、さあれ確かなるはかれが、修辞学および哲学の訓練をアテナイ Athenai の諸学堂で受けたこと――その一世紀まえ大帝テオドシウス Theodosius のおこなったアテナイ弾圧の度合いは、皮相浅薄のともがらによって甚だ誇大視せられているのである。時しも五一二年、東ゴート族の王テオドリック Theodoric が仁政を布いていたころ、われらがイビドゥスはローマの学堂で修辞学を教えるすがたを見せ、五一六年にはポムピリウス・ヌマンティウス・ボムバステス・マルケリヌス・バティアタリクス・バティカブリヌス Pompilius Numantius Bombastes Marcellinus Deodamnatus(11) という、なにやらけしからぬ感じのせぬでもない名の人物ともに執政官 consul の役職についた。五二六年、テオドリック逝去にさいしてかれは公生涯をしりぞき、撰述したのがのちに名を馳する傑作(その紛れもなしにキケロ然とした文体は古典的先祖がえり現象の瞠目すべき一例にして、同種のものはクラウディウス・クラウディアヌス Claudius Claudianus の韻文において開花せしめたるごとき先例があり、イビドゥスより一世紀まえのこと)なるも、のちまた晴れ舞台に呼びもどされ、宮廷修辞学者としてテオダトゥス Theodatus 、すなわちテオドリックの甥を教うることとなった。
 ヴィティゲス Vitiges による東ゴート王位簒奪のさい、イビドゥスは貶黜せられて一時囹圄の身となるも、ベリサリウス Belisarius ひきいる東ローマ帝国軍の入城(12)で程なくおのが自由と栄誉とをとり戻す機がえられた。ゴート軍の、一年あまりにおよぶローマ囲攻期間をかれは防衛軍のため勇猛果敢に戦いぬき、さてそののちはベリサリウスの鷹の旗じるしに従ってアルバ Alba やポルト Porto 、はたまたケントゥムケラエ Centumcellae へと赴いた。フランク族にミラノ Milano が包囲せられた(13)のちは、学僧ダティウス Datius 司教の随伴者に選ばれてギリシアへゆき、同司教とともにコリントス Corinthos に仮ずまいしたのが五三九年のこと。五四一年ごろにはコンスタンティノポリス Constantinopolis へ移り、そこでユスティニアヌス Justinianus とその甥ユスティヌス二世 Justinus II の両皇帝よりあらゆる点において寵遇をうけた。ティベリウス帝 Tiberius およびマウリキウス帝 Mauricius はイビドゥスの大齢に懇ろなる敬意をあらわし、「最後の生粋のローマ人」の名を不滅ならしむるにあたって貢献するところ大にして――とくにマウリキウス帝の貢献度たるや斜めならず、それはこの皇帝がおのれの族譜を上代ローマまで辿りうるをこそ喜びとしていたがゆえ、とは申せ自らはカッパドキア Cappadocia のアラビッスス Arabissus うまれであったが。イビドゥス百一歳の年その詩魂ある作品が、帝国内諸学堂の教本に採用確定せられたのもマウリキウス帝の計らいなれど、齢たけた修辞学者の心胸には過負荷のほまれとなったと見え、聖ソフィア寺院 Hagia Sophia にちかい自宅にて大往生をとげたのは、九月のカレンズ Kalends すなわち朔日まであと六日という日(14)のこと、年は五八七年かれ百二歳のときであった。
 イビドゥスの遺骸は、イタリアの動乱甚だしきにもかかわらず埋葬のためラヴェンナへ送られたが、郊外の外港クラッセ村 Classe に葬られてあったところを、ランゴバルド王国 Regnum Langobardorum のスポレト Spoleto(15) 公があばいて愚弄し、その頭蓋骨のみを取りあげて、ランゴバルド王アウタリ Authari(16) へ酒ほがいの大杯として献上した。イビドゥスのどくろ杯はランゴバルド一統の王から王へと代々、誇りかに手わたしにてうけ継がれた。七七四年、フランク王国 Regnum Francorum のシャルルマーニュ Charlemagne がランゴバルドの首都パヴィア Pavia を攻奪したさい、どくろ杯は命運かたぶいた国王デシデリウス Desiderius のもとより劫掠せられ、征服者の郎党らの手で運ばれた。まことこの「器」より聖なる香油を注いで、八〇〇年、教皇レオ三世 Papa Leo III はつつがなく戴冠式を執りおこない、もってくだんの遊牧民の英雄を、新生にして神聖なる西ローマ帝国の皇帝となしたのである。戴冠せるシャルルマーニュは、この「器」をフランク王国の首都エクス=ラ=シャペル Aix-la-Chapelle まで携えていったが、のち程なくおのが教師であるサクソン人 Saxones アルクイン Alcuin へ贈与、八〇四年アルクイン死去のさい、イングランドにいたその親族のもとへイビドゥスの頭蓋骨はとどけられた。
 征服王ウィリアム William the Conqueror がこの貴き頭蓋を見いだしたのはとある修道院の壁龕のうち、信仰篤きアルクインのうからにより(祈りもてランゴバルド族を殲滅するの奇蹟をおこなった一聖人*6の遺骨の頭部と思いこまれて)安置せられていたもので、征服王はこれに崇敬の念をあらわし、さてはクロムウェル Cromwell の粗野なる兵士らですら、一六五〇年アイルランドのバリロッホ大修道院 Ballylough Abbey 破壊のさい、(ひとりの敬虔なる教皇制信奉者、ひらたく申せばローマ・カトリック教徒が一五三九年、おりしもヘンリー八世 Henry VIII の命によるイングランド各地のカトリック修道院解体の進むさなか、密かにそこもとへ移送していた)かくも森厳なる聖遺骨に対しては、狼藉など苟めにもはたらきかねたのである。
 貴き頭蓋はこれを一兵卒、「涙目の読み手」ホプキンズ Read-’em-and-Weep Hopkins(17) が掠めとり、程もあらせず、「イェホヴァの御胸のいこひ手」スタッブズ Rest-in-Jehovah Stubbs の、ヴァージニア産噛み煙草 Virginia weed 新品ひと口ぶんと交換してしまい、さてスタッブズは、おのが息子ゼルバベル Zerubbabel を一六六一年、ニューイングランドにてひと旗揚げしむべく送りだした(と申すのも蓋し、王政復古の空気は敬虔なる自由民 yeoman のわこうどにとりて悪しきものと考えたゆえであったが)そのさい、この「聖者イビッド上人 St. Ibid 」の――いな、一切のカトリック的なるものを嫌忌した清教徒スタッブズの呼びかたでは「信徒イビッド大兄 Brother Ibid 」の――頭蓋骨をば、闢邪の宝具として息子にあたえたのであった。セイレム Salem へ上陸したゼルバベルがこれを安置たてまつったのは暖炉わきの戸棚のなか、町の揚水場ちかくに大きからず小さからぬ家を構えてのことであったが、「家ごとの戸棚に秘めた曝れこうべ Every family has its skeleton in the cupboard. 」という慣用句のもととなったかの一見無憂なる夫人のごとく、毎夜頭蓋骨への接吻を義務づけられていたかまでは詳らかにせぬ。しかすがに、このわかき自由民も王政復古の悪影響から完全に自由ではありえず、博戯に熱を上げるようになったあげく、プロヴィデンス Providence 公民 freeman のエペネタス・デクスター Epenetus Dexter なる名の来訪者との賭けに負けて、イビッドの頭蓋骨を手ばなすはめに陥った。
 かくて貴き頭蓋はデクスター邸、プロヴィデンスの北部、現在の北メイン街 North Main Street とオルニー街 Olney Street との交叉部ちかくの家(18)の所蔵となっていたが、白人入植者とアメリカ先住民 American Indians との争い、いわゆるフィリップ王戦争 King Philip’s War のおりから、一六七六年三月三〇日同邸はナラガンセット族 the Narragansetts の酋長カノンチェット Canonchet の奇襲をうけ、目ざときカノンチェットは一見、この頭蓋の稀世にして森厳きわだかなるを認むるや、ただちにこれを同盟締結の交渉中であった相手、コネティカット Connecticut 在のピクォート族 the Pequots の一派に誠意のしるしとして贈った。四月四日、入植者らにカノンチェットが捕えられ速やかに処刑せられたのちも、なおイビッドの綾にかしこき顱骨は転々流浪をつづけるのであった。
 ピクォート族は先のひと戦さで弱体化していたがゆえに、いまや酋長を失うの大打撃をこうむったナラガンセット族に対しなんらの支援もなしあたわず、畢竟意味のなかった進物品のその後はと申せば、一六八〇年、オランダ植民地ニューネザーランド New-Netherland はオールバニー Albany の毛皮商人、ペトルス・ファン・シャアク Petrus van Schaack の僅々二ギルダー two guilders 、すなわち二百セントばかりの出費にて確保するところとなったのであり、ファン・シャアクはこの著しくかたち秀でた顱骨に記されていた、ランゴバルド王国時代のミナスキュール草書体 Lombardic minuscules の銘文により価値のほどを認めたのであった(古文書学については蓋し、十七世紀ニューネザーランドの毛皮商人にとって欠くべからざる教養のひとつであった、と説明すれば宜しかろうか)。宛然尺蠖虫の這いうねるがごときその文字列は、薄れ消えかけていながらも次のとおり読みとられた――“ Ibidus rhetor romanus (羅馬ノ修辞学者いびどぅす)”と。

 語るも悲しきことながら一六八三年、ファン・シャアクのもとより聖遺骨を盗みいだした者があり、フランス人貿易商にして名をジャン・グルニエ Jean Grenier とよぶ犯人の男は、狂熱的なるカトリック教徒ゆえそのうえにまざまざと認めたのであった、母の膝もとで敬慕の対象としておしえ聞かされてきた、「サンティビード上人様 St. Ibide 」のおもかげを。グルニエはかくも聖なる「御かたち」が、プロテスタントに占有せられてある不条理に憤怒の猛火を燃えあがらせ、ある夜、斧撃一閃ファン・シャアクの脳蓋を砕きさり、略奪品とともに北のかたへ逃走するも、あわれ程なく、アメリカ先住民と白人とのあいだに生まれ毛皮会社の運び手をつとむる、マイクル・サヴァード Michel Savard の凶刃のもと「御かたち」も命も失ってしまい、サヴァードは奪った顱骨を――目に一丁字なきゆえに誰びとの頭部なるかこそ認識しえなかったとは申せ――それと似たたぐいの蒐集品群に加うることにしたが、いずれも比較的輓近のものばかりにして、イビッドの厳かなる頭蓋の古ぶるしさには及ばなかった。
 一七〇一年サヴァード死去のさい、やはり血の半分ことなる息子ピエール Pierre はサック族 the Sacs やフォックス族 the Foxes の、特使数名との物々交換において聖頭蓋骨をその他もろもろの品とともに放出、ひと世代ののち、これが族長の起居するティピ tepee 、すなわち円錐形の帳篷のかたわらに野ざらしに放置せられてあるを見いだしたシャルル・ド・ラングラード Charles de Langlade 、ウィスコンシン Wisconsin のグリーンベイ Green Bay における先住民との交易所の開設者は、この褻涜すべからざる「御かたち」を相応しき崇敬のまなざしもて瞶め、硝子の数珠玉あまたとひきかえに無事確保、かくてまた白人のもとに購いもどさるる次第となったイビッドの頭蓋骨であるが、爾後もなお、あまたの売り買いの手をヘて土地より土地へ転々とし、時にウィネバーゴ湖 Lake Winnebago のみなもとに接する植民地にあらわれ、時にメンドータ湖 Lake Mendota 周辺の部族の集落へながれ、果てに一九世紀初頭、ソロモン・ジュノー Solomon Juneau なるフランス人の手に落ちたのはミルウォーキー新交易所 the new trading post of Milwaukee 、メノミニー河 the Menominee River の沿岸にしてミシガン湖 Lake Michigan のほとりなるあたりの施設においてであった。
 さらにのち、ジャック・カボーシュ Jacques Caboche なるまた別の入植者が買い手となるも、一八五〇年に賭けチェス、ないし賭けポーカーで負けてゆずり渡した相手はハンス・ツィンマーマン Hans Zimmerman と名のる新来者にして、聖頭蓋骨を麦酒をあおる杯に用いるの挙におよんでいたが、ある日一パイントの蠱惑に陶然とするあまり、骨杯が自宅入り口の階段より正面の草道へまろび出るのを許し、あげく土掻き鼠 prairie-dog の巣穴のひとつへと落ちこまれてしまったため、酔いの醒めたさいには発見も回収もままならなかった。
 かるがゆえにいく世代ものあいだ、この神聖視せられたる顱骨、すなわちカイウス・アニキウス・マグヌス・フリウス・カミルス・アエミラヌス・コルネリウス・ワレリウス・ポムペイウス・ユリウス・イビドゥス Caius Anicius Magnus Furius Camillus Æmilianus Cornelius Valerius Pompeius Julius Ibidus 、古代ローマの執政官にして諸皇帝の寵臣、さらにはローマ・カトリック教会の聖者なる人物の頭蓋は、都市の発展してゆく土壌のしたに隠れてねむっていた。初めは土掻き鼠どもが昏き儀式のうちにこれを伏しおろがんでおり、蓋し単純素朴なる穴穿ちのうからの目には上界より遣わされし神的存在と映ったがゆえながら、のちには薄情にも顧みなくなりはてた、と申すのもかれらは征服をつづけるアーリア人 Aryan の圧倒的猛攻のまえに屈しつつ、どくろ崇拝どころではなくなっていったからである。下水道が設けられたが、送水管は「ご神体」のかたわらを掠めて過ぎた。家屋敷がつぎつぎと建てられ――軒数二千三百三、いなそれ以上をかぞえ――かにかくてついに運命のある夜、尋常ならざる一大事件が発生した。玄妙なる自然が霊的恍惚にうち震え、従前かの「器」を満たせしこともある飲料の弾ける泡のはたらきのごとく、高貴なるものはこれをひき倒し低からしめ、下賤なるものはこれをひき上げうず高くならしめて――しかしてご覧ぜよ! 薔薇の指さすあかつきにミルウォーキー市民らが起きいでてみれば、なんと、草野原であったはずのあたりは高地と変じているではないか! 広漠として遥けくつづくその隆起のおぎろなさよ。いく年ものあいだ隠されてきた地底のアルカナ arcana 、極秘密がいまや明るみにさらされてあった。蓋し申すにやおよぶ、そこもとの裂けた車道のうちに全容をあらわしていたのである、白じろとして鎮もり、聖者然としておおどかにまた執政官らしく厳かに、壮観あたかも大伽藍のごときイビッドの頭蓋骨が!(終)


[原註]
 *1 『ローマとビザンティウム――遺物の研究 Rome and Byzantium: A Study in Survival 』 (ウォーキショー Waukesha 、一八六九年)、第二十巻五九八頁。
 *2 『中世における古代ローマの影響 Influences Romains dans le Moyen Age 』(フォン・デュ・ラク Fond du Lac 、一八七七年)、第十五巻七二〇頁(4)。
 *3 プロコピウス Procopius 著『ゴート人 Goth 』、x・y・z(7)による。
 *4  ヨルナンデス Jornandes 著、『ムラト写本 Codex Murat 』、xxj・4144(8)による。.
 *5  『パギ Pagi 』、50―50(9)による。
 *6 一七九七年フォン・シュヴァインコップの著作が世にあらわれて漸く、「聖イビッド」とローマの修辞学者イビドゥスとは再び正しく同一視せらるるに至ったのである。


[S・T・ジョシ S.T.Joshi 註]
(S・T・ジョシおよびマーク・A・ミショー Marc A.Michaud 編『ラヴクラフト未収録詩文集第二巻 H.P.Lovecraft Uncollected Prose and Poetry II』 (ネクロノミコン・プレス Necronomicon Press 、一九八〇年)より)
 (1)架空の著者および著書。
 (2)アラリック Alaric の義弟。アラリックは四一〇年西ゴート族がローマを劫掠したさいの指導者。
 (3)明らかにラヴクラフトの筆名ハンフリー・リトルウィット Humphry Littlewit と無関係ではなく、無論著書も実在しない。
 (4)架空の著者および著書。 “…le Moyen Age” は “…au Moyen Age” としたほうがフランス語的にはよい。
 (5)『ローマ帝国衰亡史』第三十九章より。
 (6)かれの非省略名はアニキウス・マリヌス・トルクァトゥス・セウェリヌス・ボエティウス Anicius Manlius Torquatus Severinus Boethius 。
 (7)東ローマ帝国の史家(五〇〇年頃―五六三年以後)。おそらく著書『ユスティニアヌス帝戦史 History of the Wars of Justinian 』の五巻から七巻、ゴート族との戦いを扱ったあたりを指すか。
 (8)ゴートの史家(五五一年に活躍)。引証は架空。
 (9)おそらく捏造。あるいは『パギ Pagi 』とは書きあやまりで、『ラテン語称賛演説集 Panegyrici Latini 』による引証のつもりであったか。もっとも同集のうちに、問題の時代を扱ったものはひとつもない。
 (10)四八六年にクローヴィス麾下のフランク族は、「西ローマ」帝国の属州ガリアの最後の支配者、シアグリウス Syagrius をうち破って殺した。
 (11)“Deodamnatus” というラテン語は英語の “god-damned(罰あたりの罰かぶり)”に相当する。
 (12)五三六年。
 (13)五三八年。
 (14)すなわち八月二十七日(古代ローマ人はまとめて数えていた)。
 (15)ランゴバルド族がイタリア中東部のスポレトを占領したのは五七五年ないし五七六年。
 (16)ランゴバルド族の王。在位五八四年から五九〇年。
 (17)清教徒命名法に対する、ラヴクラフトのおひゃらかしぶりを参考までに――「「神の称え手」ベアボーンズ Praise-God Barebones 、すなわちクロムウェルの反逆議会の指導的狂熱的成員であった人物が、その父より一歩さきを進んでわが息子につけた名前は、「イエス・クリスト汝がために死したまはざりきとも汝常住呪ひのうけ手 If-Jesus-Christ-had-not-died-for-thee-thou-hadst-been-Damned 」! 息子はじつに幼年期よりずっとこの名で通してきたのだが、長じて博士号を取るにおよび、仲間から今度は思いきり端折られてこう呼ばれたのである、「呪ひのベアボーンズ博士 Damned Dr. Barebones 」と!」(〈ザ・ユナイテッド・アマチュア The United Amateur 〉誌一九一五年九月号「世評欄 Department of Public Criticism 」より)
 (18)「(註・ジョゼフ・カーウィンは)オルニー・コートの崖下にあたるグレゴリー・デクスターの家の北隣に地所を買い入れることで、プロヴィデンスの自由民の資格を取得した。住所は、現在のオルニー・コート、当時の名称でいえばタウン街(註・すなわちメイン街)の西、スタンバーズ・ヒルの上に建てた。一七六一年にいたって、おなじ敷地に、より大きな邸宅を建て直して、これがいまだに存在しているのだった。」(ラヴクラフト「チャールズ・デクスター・ウォードの奇怪な事件」(宇野利泰訳)、第二部第一章より)


Ibid by H. P. Lovecraft http://www.hplovecraft.com/writings/texts/fiction/ibid.asp

翻訳文書館 ラヴクラフト「イビッド」(両世界日誌のsbiacoさんによる訳)
http://blog.goo.ne.jp/sbiaco/e/dd51d60bef99a11f088bb10f50029945

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ハワード・フィリップス・ラヴクラフト「峡の記憶」

 ニスの峡を、咒われて疾みあおざめた繊月がおぼろに照らす、その脆げなふたつの角でウパス大樹の致死毒の葉むらをつらぬき、光の小みちを通しながら。しかして峡のふかみ、光も射しとどかないあたりには、視らるべき定めならざるかたちのものどもが蠢く。蔓々たるは両側のなぞえの草だち、性悪な蔦葛のたぐいが廃殿の礎石のあいだを匍いうねり、こぼれた円柱や奇異ないしぶみに密々と絡みつき、もう並べ手も忘られた舗道のなめ石を押しこかしている。さては爛壊の廃園にして、おぎろなく生いしげる樹から樹へと矮さな尾なし猿どもが跳びまわる一方、地下ふかき宝物庫を出つ入りつ、毒あるくちなわや名もしれぬ鱗族が身をのた打つ。
 厖大なるは石くれの群れ、つめたく湿った苔の毛布を被ってねむり、強大なりしはかつての石壁、くずれ落ちてかくの如くはなり果てた。さあれ造営者らが全生涯を費やしたしごとなれば、げに今日もなおその気だかい奉仕のやむことはない、石くれの下を棲みかとなす灰じろの蟾蜍のために。
 峡のいや底をながれるは「死途川」、ねばく藻に満ちた川水は隠れた源より湧きいで、地下の洞へ注ぎこむがゆえに、峡のまもり神も川水に関しては見当がつきかねる、いかなれば色が赤いのか、いずこへとながれ着くものか。
 月の照射とともに現ずるあやかし、峡のまもり神に質問していわく、「おれも年老いて、あまたの事を忘じてしもうた。どんなだったかいの、これらの石づくりを遺した奴ばらのいさおし、姿かたち、それからよび名は?」まもり神返答していわく、「わしは『記憶』の神、過ぎこしかたの知識に通じておるとは申せ、老いぼれたはお互いさまよ。奴ばらは、『死途川』の川水のごとく解しがたい生きものであった。奴ばらのいさおしについてはとんと憶えておらぬ、ただもうたまゆらの生であったによって。姿かたちならば微かに憶えておる、樹から樹へ跳びまわる矮さな尾なし猿どもと似かようておった。よび名ならばはっきりと憶えておる、川の名と韻を踏むよび名じゃったによってな。あの、去りし昨日の生きものはこう呼ばれておったわ、『人』と」
 かくて、あやかしが繊い双角をいただく月へと翔けもどりゆけば、まもり神は一心に眼をそそぐのであった、矮さな尾なし猿の一匹が、爛壊の廃園に生いしげる巨樹を攀じのぼるそのさまに。


Memory by H. P. Lovecraft
http://www.hplovecraft.com/writings/texts/fiction/m.asp

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ハワード・フィリップス・ラヴクラフト「アウトサイダー」 (全)

                  その晩、男爵さまは夢見がたいそうお悪くて、
                  招待なさった武人たちがひとり残らずみな、
                  妖婆や、悪鬼や、大きなうじ虫に変身するという凶夢に、
                  ながい夜を魘されどおしでいらしたのです。
                                            ――キーツ


 不幸じゃない? こどもの頃をいくらふり返ってみても、恐怖と悲しみの記憶しか見つからなかったら。惨めじゃない? 心にうかんでくる思い出が、だだっ広くて陰気なへやの、褐いろの帷に閉ざされて、気が変になるほどいっぱい古い書籍の並べられたなか、独りぼっちでなん時間も過ごしたこととか、蔦に絡まれたおどろおどろしくておぎろない木立が、ねじけた枝々を中空たかく音もなく揺するしたで、びくびくと黄昏世界の寝ずの番をしてたこととかいうのだったら。そんな感じのあれだったのよ、神様たちがこのあたしにくれた運命って――眩暈と幻滅、沮喪と損壊、いってみればそんな感じの。そのくせそうした枯れ葉っぽい記憶によ、ふしぎと満足しちゃってて、死んでもこれを手ばなすもんか、みたいな気もちが起こるのはなんでかしらね? たまにふと考えが、彼方にある別の「なにか」に届きそうになったりすると。
 自分がどこで生まれたかなんて知らない、知ってるのはただ、お城のとてつもない古さととてつもない不気味さだけ、なんたってやたら暗い廊下だらけで、高い天井を仰いでも、目につくのは蜘蛛の巣と暗がりばかりなんだから。崩れかけた通廊の敷石は始終ひどくじとついてるふうで、どこもかしこも、まるで先祖代々のなきがらを積みかさねっぱなしみたいな厭なにおい。光なんてこれっぽっちも射さないもんだから、なん本か蝋燭に火をともしちゃあ、その燈りをじいっと瞶めたりとかよくしたわね、気が安まるのよあれ、でさ、お城のそとに出ても全然お日さまを拝めやしなくて、なんでかっていうとお化けじみた樹々が邪魔してるわけ、てっぺんまで登ってゆける塔の高さをこえて伸び茂ってるの。樹々の高さを追いこして、未知の天空指してそびえ立つまっ黒な塔が、ひとつあるにはあるんだけど、それもところどころ壊れ朽ちてて登れたもんじゃなかったのよ、だっておよそ不可能でしょ? 垂直な崖みたいに切りたつ壁の、組み石から組み石へとよじ登ってくしかないなんて。
 もうなん年もずっと、この場所で暮らしつづけてるはずなんだけど、時間ってのをきっちり計る手段がないのよね。いろいろ必要なものを世話してくれた、誰かが絶対いたはずだけど、自分以外のヒト的存在と過ごした記憶がいっさい喚びおこせなくてさ、人間じゃない生きものなら、鼠とか蝙蝠とか蜘蛛とかいたっけ、音とか立てないのよあいつら。考えてみると、養ってくれてたのがなに者だったにせよ、おっそろしく年くったじいや乃至ばあやだったことは確かね、なぜって、生きたヒト的存在の概念としてまず頭に浮かんでくるのが、うわっ面だけはこのあたしに似せたようすながら、骨は曲がり、肌はしなびて皺くちゃで、お城同様朽ちかけたそんな感じのやつだから。あたしにゃ全然おどろおどろしくもなかったけど、曝れ骨や曝れこうべが、お城の礎のあいだあいだにふかく穿ってある石ぐらの、いくつかの底に散らばってるの。その骨どもから生前の日々のいとなみなんかを空想しつつ考えたわ、こいつらの方がよっぽど自然っぽいじゃない、たくさんのかび臭い古典籍の色つき挿し絵に出てくる生きものよりか、って。そう古典籍よ、いま知ってることはみんなそっから学んだ。ああしなさいとか、こうしたらいいとか、教え導いてくれる先生なんていやしなかった。だいたい過去なん年ものあいだ、人間の声ってのを聞いた記憶がない――あたし自身の声すらよ? そりゃ「発声」っていう行為のことは本に書いちゃあったけど、ほんとに声をあげてみようなんて思いもよらなかったし。おなじく思慮のそとにあったのが自分の顔かたちに関してで、だってお城にはひとつの鏡もなかったから、ただもう勘でなんとなく、挿し絵本のなかに色つきや色なしで描かれてる青春群像、あんなのと自分もそう違わないようすなんじゃないかしら、ってことにしてた。気分は若い子のつもりだったのよ、どうせ記憶があやふやだから。
 そとへ出て、底のくされ泥が臭うお濠をこえて暗いしいんとした樹々のしたで、よく寝っころがっちゃ夢見たもんよ、いろんな書籍で読んだことをなん時間となく、そうして思い描いちゃ憧れたもんよ、果てしれない森のかなた、お日さまが燦々とてらす輝かしい世界で、朗らかな連中に交ざってわいわいやってる自分のすがたを。いちどぐらいは森から脱け出そうとかしてみたわ、でもね、お城を遠ざかるにつれてだんだん陰翳が濃さをまし、いちめんたれ罩めた不安の気が密になりまさって、どうにも堪えられず結局半狂乱で逃げ帰ってきちゃった、だって御免こうむりたいじゃない? 無明無音の迷宮で道をうしない立ち往生なんて。
 そんなわけで、昼も夜もない黄昏のままの世界でずっと、あたしは夢を結びながら待ちとおした。なにをかって? さあなんだったのかしら。するうち闇々とした孤独のなかで、光へのせつない憧れがつのりにつのり、これ以上なにもせずにいたら発狂しちゃう寸前まで達すると、両手を希求するようなかたちにうえへ伸ばしてたわ、ええ、たったひとつ森の高さをこえ、未知の天空指してそびえ立つ真っ黒な廃塔のほうへ。だからついに決めた、覚悟完了よ、あの塔をよじ登りきってやろうじゃないって、落っこったってかまわない、ひと目青空を見て死ねるなら本望、永遠にお日さまを拝めない生活なんてもうたくさん。
 ひんやりとして湿っぽい黄昏のなか、すり減って古さびた石段を昇ってゆくとじきに、段がふっつり途切れてなくなってるとこまで来ちゃって、そっから先は危ないの危なくないのって、とにかく狭くてちいさな足がかりの、うえのほうへずっと続いてるのだけが頼りなの。ほんと不気味でぞっとさせられたわ、死んでるみたいに静かで、階段のない、あの石づくりの円筒ってばもう、まっ暗だし荒れはててうすら寂しいし、縁起でもない、びっくりした蝙蝠が羽音も立てず飛びあがるし。でももっと不気味でぞっとさせられたのはね、登攀が遅々として捗らないことだったのよ、よじても登っても、頭のうえの暗闇は薄らぐ様子もなくて、そればかりか、ひしひしと新しくさむけが迫ってくるしまつ、そうね、ちょうど幽霊の出る劫をへた墓地特有のあれ。身ぶるいしながら、なんで明るみに出ないのかしらって思いはしても、したのほうへ目をやってみる勇気なんてとても。まさか突然夜を迎えたわけでもないでしょうにって、自由なほうの手で鉄砲狭間だか矢狭間だか、覗き見あげる窓のひとつも開いてやしないか探りもとめたんだけどそれも無駄、どの程度の高さまで、とりあえず登れたのか判断したかったのにさ。
 いきなりこつん、って頭によ、えんえん果てしなく、おっかなびっくり視界もきかず、凹面の気折れする絶壁を這いあがり続けてたらなんか、固いもののぶつかる感触があったんで、さては待望の屋根ござんなれ、少なくとも上階の床裏だかには到達したはずだって、そうこころ得たのね。暗闇のなか、自由なほうの手をあげて遮蔽物をまさぐってみれば、石と知れたのはいいけどこれがびくともしやしない。そこでぐるぐる必死の「塔々」めぐり、ぬめってる壁の手をかけられる箇所なら構わずとりつき、よこ這いに移動しながらやっと遮蔽物のうごかせるとこを探りあてて、もいちどうえへ向きなおると、その板石だかとびらだかをぐいって押してやったわ頭で、両手はおっかない登攀に使ったから。これっぽっちの光もひらけた頭上にはなし、さらに高くへと手をさし伸ばして判ったのが、よじたり登ったりはひとまず終了ってこと、つまりその板石は、塔の下部よりか円周の大きいたいらな床面へ通じる開口部の揚げぶたで、まさしくあたしは一種の物見の間みたいな、とくべつ高みにある広やかなへやの床のうえへ顔を出してたってわけ。用心しいしい全身を這いこませ、ずっしりした板石を揚げたままにしとこうとあれこれ頑張ってはみたけど、とことんまで空しい努力。疲労困憊のていで石の床によこたわって、揚げぶたが元どおりはまって閉じる気味わるい反響音を聞きながら、どうか必要なときはまたこじ開けたりできますように、って願ってた。
 いま自分はとんでもない高みにいるんだ、森の厭ったらしい高枝を遙かにぬきん出たところに、そう信じこんで床から身体をひっぺがすと、両手で探りまわしたわ窓はどこかしらって、そっから仰ぎ見てやりたかったのよ、はじめてのむき出しの空を、かがやく月や星々を、どれも書物で読んだきりだったから。でも手を伸ばすたびにがっかり、だって探りあたるのはただただ莫迦でっかい大理石の棚ばかりで、棚段ごとに長方形の箱が収まってるんだけど、嘔吐感を催させられたのはその妙に胸さわがせな寸法のせい。思案投げ首で自問した、いったいここ、無量の時劫のあいだ下界のお城から隔絶されてきた高みのひと間には、どんな神さびた秘密のかずかずが宿るものなんだろうって。そのとき、思いもかけず行きあたったの出入り口に両手が、設えてある石づくりの門は、鑿でへんてこな模様を刻みつけられてて凸凹した感触。とびらを開こうとしたけど錠がおりてた、でも最大級の弾みをつけて万難排除、内側へ引っぱってやったらあっさり陥落したわ。とびらの開いたとたん、胸のうちに至純のよろこびがこみ上げてきた、まさに生まれてはじめての法悦をあたしは味わうことになった、だって、だってよ、すぐうえに見える派手なかざりの鉄格子を通しておだやかに、その鉄格子のとこからいま破った門口までの、みじかい石段へと降りそそいでたのはきらきらとした満月の光、夢のなかでだけしか、そう、「記憶」だなんてとても恥ずかしくて呼べやしない、朧ろなまぼろしのなかでだけしか目にしたためしのない月光だったんだもの。
 てことは天守閣をきわめたんじゃない? いよいよそんなことを考えながら駆けだす、と門口を出て二、三歩で急に月が翳ったもんだから蹴つまづいちゃって、そっからは闇のなか、一段ずつそろそろと昇っていった。まっ暗闇のまま鉄格子のとこまで昇りつめて、注意ぶかくそれを調べてみると施錠されちゃいなかったけど、すぐ開いたりしなかったのはうっかり足を滑らせて、ずっとよじ登ってきたぶんの眩かしい高さを、こんどは逆に落っこちてくはめになりゃしないか不安だったから。おりしも、月が雲のあいだから顔を出した。
 衝撃ってのにもいろんな種類があるけれど、なかでも凶悪無比なのはしんそこ予想外なこと、あまり荒唐無稽にすぎて、とても信じられないようなことから受ける衝撃ね。あれほどの震駭は以前いちどだって経験したおぼえがなかったわ、そのとき目のあたりした光景の、うちに含まれてたふしぎ極まりない驚異ときたら。光景自体はさ、もう呆れかえっちゃうくらいあっさりした眺めだったの、あのね、ひと口に言えばこう――てっきりそびえ立つ高みから見おろす樹海の、くらくらする景色が展開してるかと思いきや、鉄格子ごしに見えたのは、あたしの立ってるのとおなじ高さにひろがる堅い「地面」にほかならなくて、大理石の平板と円柱の装いが多様なおもむきを呈しつつ、そのうえへ黒いかげを落とす古ぶるしい石づくりの教会堂が、堂塔の毀れたとがり屋根を月あかりのなか、髣髴とあやしく浮かびあがらせてたのよ。
 なかば無意識で鉄格子を開くとふらふら踏みでた、ふた又にわかれて延びる白い砂利みちへと。頭がもうすっかり昏迷しきって混沌としてたけれど、依然光を欣求するくるおしい思いだけは抱きつづけてたから、目のまえに出来した非現実的な驚異にだって、あたしの進路を邪魔なんかできっこなかった。知らなかったしどうでもよかった、もっかの経験が精神錯乱のせいか、夢まぼろしか、魔法のしわざかなんて、ただそれでも、輝かしさと朗らかさは絶対瞶めとおす覚悟だった、どういう犠牲をはらっても。ちっとも知っちゃいなかった、あたしが誰か、なにものなのか、とり巻かれてる状況がどんななのか、にもかかわらず、よろよろ進みつづけるほどにつよく意識されてきたの、なんだかそら怖ろしい潜在的な記憶っぽいものの存在が、自分の行路はじつはそれの導きで、単なるいきあたりばったりなんかじゃないみたいだった。拱門から舗石と石柱に装われた領域のそとへぬけだして、目路を遮るもののない地帯を歩きまどい、はっきり道とわかる道を辿ってたかとおもえば、時になぜかわきに外れていって草っぱらを踏みわけるはめになり、そんななかちょくちょく出っくわした廃墟だけが、忘れさられたいにしえの道の通ってたことを教えてくれた。いちどなんて急流の川を泳いでわたったりもしたけど、崩れかけた石組みのびっしり苔に被われたやつがあったんで、ああ、橋でなくなっちゃってからずいぶん経ってるんだな、って。
 二時間以上経過したはず、やっとこさ「上がり」のマスとおぼしい場所に達してみればそこは、密生する園林のなか、蔦に絡まれてそびえ立つ古色蒼然としたお城、無性になつかしい感じがしてしょうがないのに、そのくせどこもかしこも見たことのないような箇所ばかりで、何がどうなってるのやらもうさっぱり。眺めやるとお濠はなみなみと水を湛え、塔のいくつかはここと思ったあたりに影もかたちもなく、かと思えば目あたらしい翼棟が建っていたりして、見てるがわは当惑せずにいられなかったわ。でもそんなことよりなにより最重要な、興味をひかれるうれしい観察対象があってね、つまり開いてたのよ窓々が――なかから燈火が絢爛豪華な輝きをはなち、陽気などんちゃん騒ぎが届いてくるのこっちまで。まえへ進みでて窓のひとつを覗きこむと目に映った、身なりのほんと風変わりな人々の集団、誰もかれも立ち居ふるまいの朗らかなことといったら、喋りあうさまの愉しそうなことといったら。以前いちども、たぶんだけど、人間の「発声」を耳にしたことはなかった気がするから、どんな話をしてるのかなんて漠然としか推しはかれなかった。いく人かの顔つきからは、嘘みたいにとおい昔の追憶をさそうものが読みとれるみたいに思ったけれど、あとはどれもまるっきり知らない顔。
 いざ踏みこんだ、ひくい窓から燈火のきらきらしい輝きに満ちた室内へと、そしたらそのひと踏みで、あたしのいちずな輝かしい刹那の希望は一転、もつれ乱れる最暗黒の絶望と了悟に変わりはてたの。きゅうな悪夢の到来だったわ、入るや即、受けとめることになった感情の表露は、思いつくかぎり最もぞっとする部類にかぞえられたから。こっちが窓しきいを跨ぐか跨がないかのきわに、全賓客へひとしく降りかかった唐突で不意ないらひどい恐怖、顔という顔がそろって歪み、喉という喉のほとんどから、凄絶をきわめる絶叫がほとばしり出た。みんないっせいに逃げるは、にげるは、叫喚と驚慌のうちになん人も喪神してばたばたと倒れ、倒れたのを仲間がひきずって逃げてゆくその狂乱ぶり。多くは両手で目をおおいながら、われこそは最速の脱出者、とばかり無闇でたらめにつっ走ってくもんだから、蹴つまづいて卓や椅子をひっくり返したり、壁に正面衝突したり、沢山あるとびら口のひとつへようよう辿りつくまでがそんな体たらく。
 たて続けの悲鳴にもうたまげたのなんの、輝き映えるひと間にひとり残されたあたしは、茫然自失のていで竚みながら、その反響音の消えてくのに耳をかたむけてたんだけど、ふとこわい考えに身体がわなないた、なにか潜んでやしないかしら、すぐ近くの見えないところにって。さり気なあく視線を走らせたかぎりじゃ室内は無人と思えたわ、ところがよ、壁の凹所のひとつへ向かって移動したとき、なにかの存在を認めたのそっちに――なにやら動くものの気配を、凹所の奥に見える黄金の迫持づくりの出入り口のむこう、いまいるここと似たような構えをしたつぎの間のなかに。迫持づくりの出入り口へ近づいてくと、あやしい存在がよりはっきりと捉えられはじめて、その時だった、あとにもさきにもこれっきりの「声」をあたしが発したのは――その毒々しい原因におさおさ負けずおとらず、痛烈に悪心をもよおさせた自分でもおぞましい唸り声を――だってもろに目のあたりにしたのよ、ふるふる怖ろしい生々しさ、想像も描写も説明もむずかしいけれどただ単に顕現しただけで、朗らかだった集まりを錯迷する逃亡者のむれへと変えてしまった異形のばけものを。
 遠まわしになにかに喩えることすらおぼつかない、ありとあらゆる厭な要素が渾然一体となってたから、そう、そいつは不浄で不吉で不愉快で不正常な、どこでも歓迎されっこない嫌悪の対象だった。爛壊と老朽と廃滅のかげりを宿す食屍鬼然としたそのすがたは、病みやみとして腐汁したたる妖怪変化の現出、慈悲ぶかい大地がつね日ごろは秘めかくしてるはずのもののおぞましい暴露。神ぞ知ろしめすってやつよ、そいつがこの世に属してないか――それとももう、この世に属さなくなった存在なのかは――しかもさらにぞっとさせられたのが、肉の削げ骨もあらわなそのありさまときたら、てもなく、邪まめいたいまわしい人間もどきの戯れ絵を見てるようなおもいで、黴びてぼろぼろな着衣がこれまた、こっちの身の毛をいっそう逆立たせる性質の名状しがたいものすごさ。
 頭がもうほとんど痺れたようになってて、とはいえまだ、なけなしの努力で逃亡を図ろうとするだけのゆとりはあったんで、よろよろとあとじさりするにはしたんだけど残念、名もなく名のる声もないばけものがあたしにかけた呪縛の魔術は、そんなことで破れやしなかった。あたしの両目は、胸くそわるく瞶めかえしてくるそいつのどんよりした、生気のない硝子玉みたいな眼球に魅入られたかのよう、まぶたが閉じたくても閉じられなくって、せめてもの倖いはそれ以上くっきり網膜に凄惨なしろものを映さずにすんだこと、さきの衝撃のおかげで視界が霞みきっちゃってたから。手をあげて視界をさえぎろうとしてはみた、でも神経が麻痺してて腕があまり命令をきいてくれない。よけいな試みをするもんだから身体が平衡をくずして、つんのめったのを支えるため二、三歩まえへひょろつき出なきゃならなかった。そうしたとたん気づいて死にたくなった。いたのよ、いきなりすぐ目のまえにくだんの腐れかばねが、そいつのうつろな、うす気味わるい呼吸音がきこえるかと思ったくらいまぢかに。発狂寸前になりながらも自覚して片手をつき出すことができて、これでわる臭い魍魎のおし迫るのを撥ねのけてやれる、と思ったときだったわ、まさにそれは宇宙の夢魘と地獄の奇禍のいっしょくたになった劇変の一刹那、触れてしまったのあたしの指は、黄金の迫持づくりのしたのけだものが、こっちに伸ばしきった朽ちぐされの手に。
 悲鳴はあげなかった、あたしの代わりにこぞって金切り声を発したのは、夜風にまたがる残忍凶猛な食屍鬼どもで、それとおなじ刹那、たましいを滅し去るいきおいの記憶の雪崩が、脳裡にどっとおし寄せてきた。瞬時にして、これまでのことがなにもかも呑みこめて、あたしは憶いだしてしまった、怖ろしいお城と森以外のあれこれを、わかってしまった、自分がいま身をおいている見ちがえたような大建築がどこなのか、そして悟ってしまった、いちばん知りたくなかった戦慄の事実、その指さきから汚れたあたしの指をひっこめたきわに、まん前に立って邪まな視線を返してきた、けがらわしくて忌まわしい凶つものの正体を。
 だけども天と地とのあいだには、沈痛の種があるのとおなじに鎮痛剤もあって、あたしの鎮痛剤はわすれ草のネペンテス。このうえもない恐怖のさなかにして、あの刹那、自分を震えあがらせたのがなんだったかをあたしは忘却し、爆ぜるようによみがえった黒い記憶は、いくえにも重なりあって混沌とした、影ぼうしみたいな残像のなかへ消えうせてしまった。一場の夢をみている心地で、憑かれ呪われたうず高いお城をとびだし、月あかりのもと倏忽のうちに粛々と疾走した。教会堂の大理石に装われた境内まで帰りつき、階段を降りてきてみれば石の揚げぶたは閉じたきり、てこでも動きゃしない、でもべつに悲しくなんかなかったわよ? だって大嫌いだったもん、古さびたお城も森ももとからずっと。いまのあたしは、からかい半分のもの真似ずきで狎れなれしい食屍鬼どもと夜風にうち跨り、ナイル川のほとり、ハドトの閉ざされてひと知れぬ谷間、ネフレン=カの地下墓窖のなかで昼を遊びたおす。あたしが浴びていい光は、ネブの岩窟墓にさす月あかりだけ、あたしが加わっていいどんちゃん騒ぎは、大ピラミッドのしたで開かれるニトクリスの名もない宴だけ、そうわきまえながらなお、このあたらしい野逸と放縦のなか、はみ子にされてる身のつらさに甘んじようって気にほとんどなってる。
 どういうことかって? つまりね、ネペンテスにこそ鎮められはしたけど不断に承知してるのよあたし、自分がアウトサイダー、局外者だってことを、よそ者なの今世紀においては、そしてまだ「人間」でいる連中のあいだでは。この事実はずっとこころ得てるわ、あの金メッキのおおきな枠のなかの、忌まわしい凶つものへと指をさし伸べたとき以来、そう、伸ばしたあたしの指さきがつめたい、はね返す表面をした、つるつるの硝子にふれたあのとき以来。(おわり)


The Outsider By H. P. Lovecraft
http://www.hplovecraft.com/writings/texts/fiction/o.asp

クリスマス期間につき懸案事項を先送りして特別更新しております。

  ウンダ――海の花妻     ハワード・フィリップス・ラヴクラフト



謹みつつ、モーリス・ウィンター・モオ大人にみ許しを得て*1ささげ奉るもの也。


昏暗にして曠蕪にして荒唐無稽、窈瞑たる揚抑抑格の渋晦にして重疾なる十六聯詩による、 濛朧として罔殆なる妄迷の譫語。*2


「このおのれ、狗子にして讃へまゐらす、月を。」――マエヴィウス・バヴィアヌス*3



黒漆々たり 後(しり)へに険しくうかぶ巉崖
陰闇々たり 前へと遥けく展びゆく砂浜
行路の 巌の 翳りおびたるそのさまは
かなしく偲ばしむる也 不再帰(ネヴァーモア)の歳月を


柔き小波もて漂礫をひたひたと洗ふ
その響きあまく懐かしき大わだつみよ
此処 わが肩にその頭を寄り添はしめ
ともに歩みし也 ウンダ――海の花妻と


燦然たりき 彼女(かぬな)に出あひしわが青春(はる)の朝け
わだの原吹く微風の如かりしその甘さよ
倏忽たりき 愛のいと強き枷嵌められたるは
彼女(かぬな)を獲たる喜びよ 彼女に獲られたるよろこびよ


つゆ問はざりき その流浪のこしかたは
つゆ問はれざりき わが生まれも 一切
うなゐ児のごとく幸はひ 考へも思ひもなさず
海と陸との優渥をうれしむ二人也けり


大波のあはひに柔き月光戯るるひと夜
遙か海を瞰おろす断崖にわれら立てり
彼女(かぬな)が髪を束ぬるは 鳥舞ふ森の
湖畔にて摘みし柳を編みたる髪どめ


潮騒に魅せられしか 月光に惑はされしか
彼女(かぬな)は脚下の翻騰を奇異に瞶(みつ)めたれば
さてこそ 夜の海のあらけなき相の転移して
容貌(かほかたち)険しくけうとく変りぬれ


冷然と彼女(かぬな)は去りぬ その言祝ぎし領域の
さなかに 独り愕然と彳(たたず)み哭するわれをのこし
音もなく下へ 這ふごとく 辷るがごとく下へ
麗しのウンダは 一路わだつみ指して


海は凪ぎ  堂塔(だうたふ)たる大波も
いまや小波となり くはし女(め)ウンダは
歓呼の快音立つる濡れ砂をさし踏みつつ
われに手を振るよと見えて――もはや姿なかりけり!


延々とわれは歩みき 彼女(かぬな)の失せにし水阿(みづくま)を
月高くのぼり かつまた沈みゆき
朝けの薄明つひに愁夜を逐ひたれども
わがたましひの疼痛は なほ終りを知らざりき


全世界われは尋ねたり いとしの君を
遥けき砂漠あざかへし 遠海のはて船出して
ひと日 大嵐吠ゆる波上に うるはしの顔
彷彿たりしその時は 安穏として心落ちゐぬ


依然息(やす)みなく 蹌踉として歩みつづけ
請ひ求め 恋ひ焦がれ 路もおぼつかなくなり
さてもいま とどろ鳴る大みさきに迷ひつきたるこそ
もどり来たる也けれ 失へりし昨日の場所に


眺むれば 海の薄霧低くたれ罩(こ)めしかたより
予兆めく壮観なして昇りくる赤いろの月
奇異なるかな 労(いたづ)ける眼もて瞶(みつ)むるほどに
閃きと蒼みとの広袤(くわうばう)上のその面輪


その月ゆ 浜辺にて息呑むわれまで一直線
波と光線の織りなせる眩ゆき橋ぞ伸びきたる
架橋脆からめ なにほどの障りやある
地を離れあまき夢の星球へ渡らむとするに


彼処 月光ぬち現じつつある顔はなにぞ
終にわれ見いでたるか 消失の処女(をとめ)を?
光条の橋へ踏みいで彼女(かぬな)に近づく
そが優しき手まねきに歩みを急がされながら


潮流に巻かれ 揺られて半睡半醒
月のかよひ路とほく麗しの顔をもとめ
ひた急ぎゆき 喘ぎつつ かつは祈りつつ
手をさし伸ぶ 待ちうくる雅びの幻影へと


呟ける水の囲みいよいよ密にして
ひたひたと甘美の幻影近づき来たり
畢(をは)れる也わが試煉 憩へる也わが心
わがウンダ――海の花妻とともに安らけく


跋*4


鹵笨(ろほん)なる道化さながら ウンダの手管が擒(とりこ)は
自らの狂熱の海におぼれ死ぬるなれど
かくの如きこそ青春 麗しき誘惑者に情火ともされ
分別も人がましさも奪ひ去らるるわれら也
哀しからずや 男ざかりのストレポンと雖も
クロエーが面前にして周章狼狽のさまを呈するは
また嘗て 希臘(ギリシア)の衆目に親しきペリデースが
その三重に鍾愛せる褒賞を失ひしきはの渋面は
心せよ朋輩! 胸裡の煩悶余りに堪えがたき時んば
宜しく破壊的の性を忌避して休息をうべし



*1 一九一五年九月三十日付ラインハート・クライナー宛書翰中のヴァージョンでは「み許しを得ずして」。
*2 一九一五年九月三十日付ラインハート・クライナー宛書翰中のヴァージョンではこの後に、以下の如き一文あり――「(その生死男女単複を問はず、這箇詩篇が何のなにがしの作なりと証明なし得たる者には、賞金として五千弗(ドル)を進呈すべし。誰かよく察知せむ、作者はハワード・フィリップス・ラヴクラフトに他ならざるを。)」
*3 "Ego,canis,lunam cano." ――詩人名は架空のもの。S・T・ヨシはこの句をヴェルギリウス作『アエネーイス』冒頭、"Arma virumque cano."「戦争と一英雄をわれ讃へてうたふ、。」のパロディであると言う。
*4 一九一五年九月三十日付ラインハート・クライナー宛書翰中のヴァージョンではこの跋詩の代わりに、以下の如き四行詩で結ばれている――「(雅量の士なるモーリスよ 君が渇望充たされなば/わが惨たる詩篇にして君が好みに適はば/直ちに見做したまへ われを一かどの騒客と/さらばまた英雄詩づくりに急々とせむを)」


http://www.hplovecraft.com/writings/texts/poetry/p052.asp

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ファーンズワース・ライト編集長お気に入りの一篇

  祝祭         ハワード・フィリップス・ラヴクラフト


地には雪あり
谿間に冷気あり
荒原のうへ 如法暗夜の幽闇は
黒ぐろとこそわだかまれ
丘の頂きに炬火ほの見ゆるは
張られたるめり 不浄にして古きうたげの


雲間に死あり
夜陰におそれあり
森のなか 黴の被ひて白き
ユールタイドの祭壇のめぐり
太陽の退避を祝して あらけなく
踏歌乱舞すれば也 経帷子の死びとらの


この世に属せぬ猛風に
揺がさるるかオークの森
その懐疾せる枝々には
宿り木の雁字がらみぞ狂ほしき
これらの力たるや暗黒のさがにして
墓所ゆ来る力なれば也 泯びしドルイド族の


さて汝も 宜しくつとめを果たすべし
僧院長たり大祭司たる者として
唱すべし 人肉貪食のほぎうたを
悪鬼のもよほす饗宴のたびに
かつは暗淡と示すべし 獣のしるしを
全世界の疑ひぶかき輩へむけて



http://www.hplovecraft.com/writings/texts/poetry/p265.asp
http://www.psy-q.ch/lovecraft/html/festival2.htm

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