クリスマス期間につき懸案事項を先送りして特別更新しております。

  ウンダ――海の花妻     ハワード・フィリップス・ラヴクラフト



謹みつつ、モーリス・ウィンター・モオ大人にみ許しを得て*1ささげ奉るもの也。


昏暗にして曠蕪にして荒唐無稽、窈瞑たる揚抑抑格の渋晦にして重疾なる十六聯詩による、 濛朧として罔殆なる妄迷の譫語。*2


「このおのれ、狗子にして讃へまゐらす、月を。」――マエヴィウス・バヴィアヌス*3



黒漆々たり 後(しり)へに険しくうかぶ巉崖
陰闇々たり 前へと遥けく展びゆく砂浜
行路の 巌の 翳りおびたるそのさまは
かなしく偲ばしむる也 不再帰(ネヴァーモア)の歳月を


柔き小波もて漂礫をひたひたと洗ふ
その響きあまく懐かしき大わだつみよ
此処 わが肩にその頭を寄り添はしめ
ともに歩みし也 ウンダ――海の花妻と


燦然たりき 彼女(かぬな)に出あひしわが青春(はる)の朝け
わだの原吹く微風の如かりしその甘さよ
倏忽たりき 愛のいと強き枷嵌められたるは
彼女(かぬな)を獲たる喜びよ 彼女に獲られたるよろこびよ


つゆ問はざりき その流浪のこしかたは
つゆ問はれざりき わが生まれも 一切
うなゐ児のごとく幸はひ 考へも思ひもなさず
海と陸との優渥をうれしむ二人也けり


大波のあはひに柔き月光戯るるひと夜
遙か海を瞰おろす断崖にわれら立てり
彼女(かぬな)が髪を束ぬるは 鳥舞ふ森の
湖畔にて摘みし柳を編みたる髪どめ


潮騒に魅せられしか 月光に惑はされしか
彼女(かぬな)は脚下の翻騰を奇異に瞶(みつ)めたれば
さてこそ 夜の海のあらけなき相の転移して
容貌(かほかたち)険しくけうとく変りぬれ


冷然と彼女(かぬな)は去りぬ その言祝ぎし領域の
さなかに 独り愕然と彳(たたず)み哭するわれをのこし
音もなく下へ 這ふごとく 辷るがごとく下へ
麗しのウンダは 一路わだつみ指して


海は凪ぎ  堂塔(だうたふ)たる大波も
いまや小波となり くはし女(め)ウンダは
歓呼の快音立つる濡れ砂をさし踏みつつ
われに手を振るよと見えて――もはや姿なかりけり!


延々とわれは歩みき 彼女(かぬな)の失せにし水阿(みづくま)を
月高くのぼり かつまた沈みゆき
朝けの薄明つひに愁夜を逐ひたれども
わがたましひの疼痛は なほ終りを知らざりき


全世界われは尋ねたり いとしの君を
遥けき砂漠あざかへし 遠海のはて船出して
ひと日 大嵐吠ゆる波上に うるはしの顔
彷彿たりしその時は 安穏として心落ちゐぬ


依然息(やす)みなく 蹌踉として歩みつづけ
請ひ求め 恋ひ焦がれ 路もおぼつかなくなり
さてもいま とどろ鳴る大みさきに迷ひつきたるこそ
もどり来たる也けれ 失へりし昨日の場所に


眺むれば 海の薄霧低くたれ罩(こ)めしかたより
予兆めく壮観なして昇りくる赤いろの月
奇異なるかな 労(いたづ)ける眼もて瞶(みつ)むるほどに
閃きと蒼みとの広袤(くわうばう)上のその面輪


その月ゆ 浜辺にて息呑むわれまで一直線
波と光線の織りなせる眩ゆき橋ぞ伸びきたる
架橋脆からめ なにほどの障りやある
地を離れあまき夢の星球へ渡らむとするに


彼処 月光ぬち現じつつある顔はなにぞ
終にわれ見いでたるか 消失の処女(をとめ)を?
光条の橋へ踏みいで彼女(かぬな)に近づく
そが優しき手まねきに歩みを急がされながら


潮流に巻かれ 揺られて半睡半醒
月のかよひ路とほく麗しの顔をもとめ
ひた急ぎゆき 喘ぎつつ かつは祈りつつ
手をさし伸ぶ 待ちうくる雅びの幻影へと


呟ける水の囲みいよいよ密にして
ひたひたと甘美の幻影近づき来たり
畢(をは)れる也わが試煉 憩へる也わが心
わがウンダ――海の花妻とともに安らけく


跋*4


鹵笨(ろほん)なる道化さながら ウンダの手管が擒(とりこ)は
自らの狂熱の海におぼれ死ぬるなれど
かくの如きこそ青春 麗しき誘惑者に情火ともされ
分別も人がましさも奪ひ去らるるわれら也
哀しからずや 男ざかりのストレポンと雖も
クロエーが面前にして周章狼狽のさまを呈するは
また嘗て 希臘(ギリシア)の衆目に親しきペリデースが
その三重に鍾愛せる褒賞を失ひしきはの渋面は
心せよ朋輩! 胸裡の煩悶余りに堪えがたき時んば
宜しく破壊的の性を忌避して休息をうべし



*1 一九一五年九月三十日付ラインハート・クライナー宛書翰中のヴァージョンでは「み許しを得ずして」。
*2 一九一五年九月三十日付ラインハート・クライナー宛書翰中のヴァージョンではこの後に、以下の如き一文あり――「(その生死男女単複を問はず、這箇詩篇が何のなにがしの作なりと証明なし得たる者には、賞金として五千弗(ドル)を進呈すべし。誰かよく察知せむ、作者はハワード・フィリップス・ラヴクラフトに他ならざるを。)」
*3 "Ego,canis,lunam cano." ――詩人名は架空のもの。S・T・ヨシはこの句をヴェルギリウス作『アエネーイス』冒頭、"Arma virumque cano."「戦争と一英雄をわれ讃へてうたふ、。」のパロディであると言う。
*4 一九一五年九月三十日付ラインハート・クライナー宛書翰中のヴァージョンではこの跋詩の代わりに、以下の如き四行詩で結ばれている――「(雅量の士なるモーリスよ 君が渇望充たされなば/わが惨たる詩篇にして君が好みに適はば/直ちに見做したまへ われを一かどの騒客と/さらばまた英雄詩づくりに急々とせむを)」


http://www.hplovecraft.com/writings/texts/poetry/p052.asp

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