彼が蛇を殺すはずがない。

 初めに。本記事は決して、植草甚一氏の「偉業」を全否定しようとするものではなく、また藤岡真氏の最新作『七つ星の首斬人』の価値を貶めようとするものでもない。それだけはよくお心得置きくださるよう。

 ……以下に紹介する各務三郎氏のエッセイを私が初めて読んだのは、古書店で掲載誌を手に入れた中学生の頃で、それから長いこと存在が忘却の彼方にあったのだけれど、すこし前マイミクの某先生が、町山智浩先生のはてなダイアリーの記事経由でお知りになった、「唐沢俊一による<オモロイド>さんからの記事盗用事件」をご自身のミクシィ日記でとり上げられた際、今のようにネットが発達してなかった時代まだ日本が著作権なんかに無頓着だった昔、わが国のお偉い「先進的文化人」の先生方は洋書とか他人の書いたものから黙ってパクり放題で、たとえば”ぼくは散歩と雑学がすき”な某お爺さんなんかもそんな傾向ありまくりだったよね云々、みたいなことを書かれていて、それで久しぶりに憶い出したそのエッセイ中に展開されている批判のパターンが、<唐沢俊一検証ブログ>で繰り返されてお馴染みのものと不思議に似通っていることに気づき、これは面白い、ぜひとも近ぢか紹介せねばなるまいと機会をうかがいつつ、こんにちまで至ってしまった次第。って長いよ途中で句点打って切れよ俺。

 隔月刊のミステリ専門誌<EQ>(光文社刊。<ジャーロ>の前身)一九七九年三月号に掲載された、各務三郎氏の記事の表題は「独断と偏見」。これは「EQチェックリスト」(新刊ミステリレヴューコーナー)内の毎号連載エッセイ(シリーズタイトルは「おしゃべり鏡」。のちに「各氏のあわせ鏡」)で、見開き二頁の短いもの。前年の十月十五日から十二月十五日までに刊行されたミステリ書の中から、植草甚一氏の『ミステリの原稿は夜中に徹夜で書こう』(早川書房刊)と結城昌治氏の『昨日の花』(朝日新聞社刊)の二冊がとり上げられているのだが、メインの話題は『ミステリの原稿は……』のほうで、エッセイの表題も植草氏著書の内容を評した言葉なのだ。

 (無能で仕事の遅い私がぼやぼやしている間に、愛・蔵太さんが本件に関する記事をはてダのエントリーとしてアップされ、そこで「独断と偏見」のほぼ四分の三に当たる部分の引用が読めるので、正確性を求められる向きはそちらもご参照くだされば幸い。)

 各務氏は語る。「著者は、ジャズ、映画、ミステリー……何でも評論し、その評論ぶりが多くの人たちに愛され、高く評価されている外国通なのだそうだ。(中略)だが、ことミステリーに関するかぎり、わたしには、なぜ氏が高く評価されているのか、理解に苦しむ。(中略)本書は、海外ミステリー随想、書評、ミステリー講座の三本立てになっていて、起承転結のない、世にいう植草調なる文章がつづいている。だが……これほど独断と偏見にみちた本も珍しい。さらにミステリー専門出版社から刊行されたにもかかわらず、それを指摘する編集者がいなかった事実にショックを受ける(書評以外はミステリー雑誌に連載されたものだから、まずその時点で編集者のチェックがあってしかるべきだった)。」……以下その例を箇条書きに。

 ・スティーヴン・マーカス編のハメット短編集『コンティネンタル・オプ』を読まずに、ニューズウィーク紙の『コンティネンタル・オプ』に関する書評を尤もらしく(しかも意味をとり違えて)紹介。
 ・文章を読んでいても、どこまでが他人の意見の引き写しでどこからが著者自身の意見なのか判然としない。やっとオリジナルの意見らしき箇所に逢着したとわかるのは、そこが<独断と偏見>まみれだから。
 ・クリスティーについて述べたくだり。晩年の諸作品における、駄洒落や楽屋落ちや冗長な会話や平凡な謎に今更のように無邪気に感心しているあたり、もしやそれまでクリスティーを読んだことがなかったのではないか?
 ・クリスティーが表題として使った”Elephant Can Remember”(『象は忘れない』)はエセル・ライナ・ホワイトのサスペンス”Elephant don't Forget”(一九三七年刊)が元ネタだと断定。ホワイトの作品の正しいタイトルは”An Elephant Never Forgets”だし、そもそも<象は忘れない>というのはあちらの慣用句なのだが。
 ・「オール・ザ・キングズメン」がマザーグースの「ハンプティ・ダンプティ」からの引用句であることに気づいていない。

 そして、各務氏は一連の批判をこう締めくくる。「かつては<独断と偏見>には悪いイメージがあった。昨今、よいイメージを期待して使われるようである。本書に見るかぎり、植草氏が各所に披瀝する<独断と偏見>は、文字どおりの意味でしかない。」

 ……どうだろう、<唐沢俊一検証blog>愛読者の方なら奇妙な既視感を覚えられはしなかっただろうか? ちなみに当時植草甚一氏は七十一歳(最晩年)、対する各務三郎氏は四十三歳。年齢も、キャリアも遙かに上のミステリ界の大先輩にして、サブカル界の開拓者、押しも押されぬ人気者の有名人(現在に至ってもなお!)を相手に、しかも名指しでのもの申すとは、各務氏にとってどれほど勇気の要ることであったか(そう考えると検証班氏は実に偉いなあ、うん)。
 くり返す。私は決して植草甚一氏の遺した大いなる全仕事の価値を否定するつもりはないし、否定できるとも思わない。ただ、それなりに再検証の余地はあるような気がするのだ。

 ……で、上のようなことがらが頭にあった私は、過日<唐沢俊一検証blog>のいちエントリーのコメント欄 http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/?date=20090924#1253825792で、唐沢俊一は分を弁えるべきだ、植草甚一のような一流のアーティストではないのだから云々と書かれた藤岡真先生に対して、でもサブカル畑のインチキおじさんの系譜を唐沢から辿ってゆくと植草甚一にぶち当たりますよと、この「独断と偏見」の存在をお教えしたのだけど、次のようなお叱りをうけてしまった。

 「死後何年もたってから、植草甚一の一般的な評価が変わっていった事実は知っています。それを「サブカル畑のイインチキおじさん」と総括するのは、あなたの勝手ですが、少なくともその“系譜”の上に唐沢俊一がいないことは確かだと思います。唐沢はただの「インチキおじさん」であって、「サブカル」は勝手に標榜しているからです。
 各務氏の悪意のある批判を一方的に受け入れるつもりはありません。『ミステリの原稿は夜中に徹夜で書こう』はリアルタイムで読んでいますし、なによりこの作品に日本推理作家協会賞を与えた審査員の目が、全員節穴だとも思えないからです。それに、わたしの新作『七つ星の首斬人』が収録された東京創元社の叢書「クライムクラブ」は植草氏が創設したものですから。
 なにかあなたのご意見は、どさkyさに紛れて、唐沢という馬鹿を植草氏に重ねて、植草氏を貶めようとしているだけにしか見えないんですが、如何に。」

 迅速にResを下さった藤岡先生にはまことに遅ればせで申し訳ないが、いまここで、箇条書きにお返事をさせていただく。

 ・「死後何年もたってから、……評価が変わっていった……」――死後の話などしておりません。「独断と偏見」は植草氏存命中の批判記事です。
 ・「唐沢はただの「インチキおじさん」……「サブカル」は勝手に標榜……」――ナンセンスな定義づけです。唐沢がサブカルチャーの世界にも触手を伸ばしているのは事実であり、サブカル畑で活動するのには何らの免許も必要でないはず。ミステリ作家として開業するのにミステリ作家免許がいらないのと同様、いずれも実質「名乗ったもの勝ち」で無問題ではないですか。
 ・「各務氏の悪意のある批判」――「独断と偏見」をお読みになってのお言葉なのでしょうか? これが「悪意」ならば、<唐沢俊一検証blog>などは「分け入っても分け入っても悪意の山」ということになってしまいますが。
 ・「『ミステリの原稿は夜中に徹夜で書こう』はリアルタイムで読んでいますし」――意味のないエクスキューズです。リアルタイムだからどうだと仰言るのですか。リアルタイムで読んでたから騙されても仕方がない、ということならまだ理解できないでもないですけれど。
 ・「この作品に日本推理作家協会賞を与えた審査員の目が、全員節穴だとも思えない」――「朝日新聞の書評委員ともあろう人が読まずに書評を書くとは思えない」、「博報堂の敏腕CMディレクターにして奇想ミステリの名手が唐沢俊一ごときに騙されたはずはない」。……悪しき権威主義の押しつけその一。
 ・「わたしの新作『七つ星の首斬人』が収録された東京創元社の叢書「クライムクラブ」は植草氏が創設したもの」――創元クライムクラブから出ようが二次元ドリーム文庫から出ようが、それがどうしました。ブランド名を誇るのではなく『七つ星の首斬人』という作品自体の面白さを誇ってください。そもそも植草氏の「クライムクラブ」は海外ミステリの叢書で、現在の「クライムクラブ」とは実質別ものではないですか? ……悪しき権威主義の押しつけその二。
 ・「なにかあなたのご意見は、どさkyさに紛れて、唐沢という馬鹿を植草氏に重ねて、植草氏を貶めようとしているだけにしか見えないんですが」――いえ誤解です。そのようなことはありません。……ご自分がどさくさに紛れて、植草甚一という偶像を唐沢に比し、無闇矢鱈に唐沢を貶めることによって溜飲を下げようとしておいでであるがゆえに、そう見えるだけなのではありますまいか。
 ・私から今回の件でのお返事はとりあえず以上です。遅くなって重ね重ねすみませんでした。

 これは藤岡先生に限ったことではないのだけれど、どうも唐沢俊一なる存在が、自分とは全く無関係な、どこか知らない暗くて汚くて臭い領域から勝手に涌いて来たもののごとく思いこみたがる人たちがいるようだ。でもそれは間違っているのではないか。彼は我々のあながち知らないでもない道を辿ってきたのであり、その道を踏み固めた先人たちの中には、植草甚一氏という「歴史的偉人」も確かにいたはずなのだ。


Wikipedia――植草甚一
http://ja.wikipedia.org/wiki/植草甚一
Wikipedia――各務三郎
http://ja.wikipedia.org/wiki/各務三郎

<愛・蔵太のもう少し調べて書きたい日記――各務三郎による植草甚一のテキスト批判>
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20091003/kagami

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