ナシカナ アルバート・フレデリック・ウィリー(H・P・ラヴクラフト&アルフレッド・ギャルピン)
蒼白きザイスの庭院にありし日のこと
屍衣のごと狭霧まとへるザイスの庭院よ
ま皓なるネファロット樹の葩を披きて
うまし香りに深更を先触れするところ
微睡むあるは寂として波たたぬ玻璃の湖
はたや亦 騒もなく流るる細水
昏夕の神霊だち籠りて沈思なすカソスの洞々ゆ
嘶きもなくながれ出る細水
これら湖と細水とのうへに架れるは
けうらなる雪花石膏の橋のかずかず
その何れも妖精鬼魅のかたちを巧みに
彫りきざみたるま皓なる橋
ここ 奇しくも太陽と遊星と幾多耀よひ
くすしや 新月なるバナピス
常春藤がらみの塁壁の彼方
宵闇の深まさりゆくあたりに沈み
ここ 白じろと降るよヤボンの靄
思惟まで糢糊たらしむるヤボンの靄
しかしてここ 靄のうづ巻く央にして
われは遇見ひぬ 神容の崇き処女ナシカナに
花冠せる白皙の夭姣ナシカナ
楚腰あえか 黰髪の嬢子ナシカナ
睛は野李樹の実のごとく 脣絳き阿嬌ナシカナ
銀声のほがら澄音の少艾ナシカナ
はしけやし 蒼白き長袍の女児ナシカナに
さても 彼女はいつもわが眷恋人たりき
時てふものの未だ成らざる太古より
星も非在り 在るはただ
ヤボンのみなりし遙昔より
さても 両人はいついつも偕に過ぐしてき
われらザイスの無染なる童男童女は
心やすらけく 経に はたや亭子に
頭には神聖きネファロットの冠も白く
ふたりしていかに繁くは游歩りしよ
賤の花アスタルソンの笑きおほひたる
昏夕どきの牧 片丘を
賤にはあれど可憐しきアスタルソンの
ひとつらに白皣々と開花きたる中を
ああ ふたりいかに繁くはゆめみしよ
アイデンよりも美はしき夢 現境よりなほ
真実しき的皪の夢に成れる世界に!
さばかり夢み さ許りに愛しみあひて幾世経にけむ
軈てつひに ザニンの咒ひの季節こそ到ぬれ
ザニンの凶し魔障のときの到ぬれば
太陽は 遊星は赤く莩きいで
新月のバナピス赤くちらめきて
ヤボンの靄の降るも亦 あかあかとのみ
斯くては 花葩もいさら細水も
湖も赤らかに染み それらが上の
幽かなる雪花石膏の架橋さへ
肉色のおぞき反映に照りかがやきぬ
刻まれし妖精鬼魅のことごとく
くらき陰より赤眼に邪睨へるよとみゆるまで
さておのが夢見の変じはてて われ
密々たる赤気の幕を透視せんとは努めしかば
仄めきぬ 処女ナシカナの崇き神容
純らなる 常住白面あえかなる青娥ナシカナ
はしけやし渝らざる嫈嫇ナシカナの
さはあれど 狂気の渦また渦に呑まれて
いたはしやわれが夢見は晦冥みにき
目に新たなる一世界をつくり成したる
いまはしや赤変のわれが夢見は
赤色と闇黒とよりなる新世界 これぞ
「生活」と呼ばるるも実はおそるべき昏睡なりし
かくて今 「生活」といふ名の昏睡のなか
わが瞰むるは絢爛しき美のまぼろしども
ザニンの凶悪をことごとく蔽ひ隠さふ
ここだくの虚妄空幻の美のすがた
われは瞰む 涯りもあらぬ渇慕もて
余りにそれら媚子に肖ひてみゆれば
しかすがに 何れも双眸ゆ凶悪しさの
酷薄無情の凶悪しさの荽きづるこそ醜しけれ
艶なるをよそへるもそれに倍して禍なる
タフロンやラトゴスを超ゆる凶悪しさ也
さては僅 夜半の目蕩みの裡にのみ
形はるるよ 失はれたる春娃ナシカナ
白面あえかの純らなる処女ナシカナ
夢見者の一瞥すれば没影さりゆくも
かへす返すわれは彼女を覓ぎ索む
プラソティスを夥か服しつづくるにより
嫦娥の果酒に混じ 長の哀哭の
涙くはへて効力の増せるプラソティスを
回復さばや 懐かしきザイスの庭院を
うるはしの 喪はれたるザイスの庭院
ま皓なるネファロット樹の葩を披きて
うまし香りに深更を先触れするところを
方今 われは最後の効ある一服を調じつつあり
かの妖精鬼魅らのよろこぶ一服
赤色を 「生活」と他の呼びなす昏睡を
逐ひ斥くるべき一服なり
無何くして 調合に誤りなくば不久くして
赤色は銷え 狂気は失せて
屍蛆むらがれる深闇ぬちにこの身をば
縛め来たる賎金属の鎖は腐ちむ
けながくも苛まれたるわが夢見の上
再来一次 白じろとザイスの庭院を現ぜしむべし
しかせばそこ ヤボンの靄の渦まく央
顕ちこそいでめ 神容の崇き処女ナシカナは
不死不滅なる 回復されし妞々ナシカナ
「生活」に於てはつひぞ見えざりにし絶類きもの
Nathicana
by H.P. Lovecraft and Alfred Galpin
http://en.wikisource.org/wiki/Nathicana